2012年6月3日日曜日

下半身の疲れはこうして取ります!

緊張は人体を支える基礎の「あし」に回帰する

下肢とは、股から膝、足首、足、足指までを含む
「あし」全体をさします。


下肢は、人類が四つ足歩行の時代から、
二本足で立って歩くようになって、生活全般にわたって、
その重要性がはるかに大きくなりました。

と同時に四つ足でなら起こらなかったような困難や無理が新たに生じ、
それだけ不当な緊張も生まれやすくなり、
それが日常生活におけるさまざまな偏りや
悩みをもたらすことにもなっています。

下肢には、ク幹部と頭部という上部構造体を重力に
対応しながらダイナミックに統合する形で適切に支える役目があります。

頸や肩、背中や腰、腕や手など、体の部位・部分には
それぞれ特有の問題や困難がありますが、
下肢はそれらを包括・統合して全身の微妙な調整をしなければなりません。

すなわち、一方では重力という物理条件に対応して
微妙なバランスを維持し続けなければならず、
また他方では人間関係や文化など、
社会条件への対応を欠かすことができないのです。

そうした多重・多様な課題の難しさは心身のストレスを強め、
生活体験の安定を脅かし、不当な緊張を生じやすくします。
そんな緊張が人体をタテに支える基礎である「あし」に回帰して、
それを構成する股、膝、足首、足などに
不当な緊張や困難をもたらすことになります。

2012年6月2日土曜日

日常のストレスは、あるところに偏って溜まります。

上肢には日常生活のさまざまなストレスが集まる

動作という視点からすれば、上肢というのは、
腕の付け根から肘、手首を経て手掌、手指全部を含む腕全体です。


日常生活に必要なあらゆる作業はすべてこの手を含む
上肢の動作無には成り立たないといていいでしょう。
それだけにこの部分は日常生活におけるありと
あらゆる喜怒哀楽にかかわっています。その手や腕の活動によって、
さまざまなストレスに対処し、処理・解消しているのです。

もちろん、それを適切に処理しきれないこともあるでしょう。
そんな時は、不当な緊張が手腕部分に現れやすくなります。
たとえば、四十肩、肘の痛み、手首の特異な屈げや反らし、
指の変形などがそれにあたります。

肩まわりの緊張は肩の付け根で隣接する肩凝りとなって常習化したり、
頸の痛みとなって現れたり、頸や肩の緊張は、背中の緊張を経て、
腰痛の元となる腰まわりの緊張にまで及んだりもします。

こうした不当な緊張は、それがまたさまざまな他の身体的障害を生じかねないので、
気がついたらなるべく早期に軽減・解消することが大切です。
しかし、あまりに日常的で習慣化されているため、
それと気づかなかったり、それが当たり前とされることもあって、
だんだん重度化してしまうこともあります。

腰の安らぎレッスン!横にクネクネしますよ!そして・・・

姿位は、椅子位股は胡坐位とします。
正面から見て、腰を左右方向に屈げ、重心を左右に移しながら、
自体軸をしっかり立てることによって、
体側の余計な緊張を弛めていきます。


腰を左側凹に横に屈げようとすると、骨盤は左側が上がり、
右側が下がるように傾斜することになります。

椅子位でも胡坐位でも同じですが、この形をとるのに
いちばん簡単なのは上体をまっすぐのまま右側へ傾斜させることです。
しかし、それでは腰の部位がまっすぐのままですから、
腰屈げにはなっていません。

ここでの課題は、骨盤を傾斜させながら
腰を左側凹へ横屈げすることですから、
上体は全体としてタテまっすぐに保ったまま、
腰部位だけを左側凹へ屈げることになります。

左右は同じではないし、腰痛も片側だけということもあるので、
左右を均等に試みる必要はありません。むしろ、必要に応じて、
片側だけを繰り返し試みる方が有益ということもあるでしょう。

腰の安らぎレッスン!ちょっと腰を前に突き出してみてください。そして・・・

姿位は椅子位股は胡坐位とし腰の部位だけを前方へ
突き出すような気持ちで反らせます。

実際には、骨盤の背中側の線が前方へ傾斜するように
傾ける力を入れることになります。


大きく腰を反らすことが目的ではなく、
腰前屈げと対照的な力として後ろ反らしの力の入れ方が
実感としてわかるようにすることが目的です。

腰痛持ちの人の腰や背中をよくみると、
この部位にかなり特徴的な後ろ反らしの形がみられ、
多くの人で形だけでなくそこを反らせるような相当に
強い緊張の入っていることがわかります。

腰痛のある人は、この腰の後ろ反らしを除外するか、
注意して大きく強い後ろ反らしは避けるようにしなければ、
もともとの腰痛を一層ひどくしてしまいかねません。

腰痛に無縁な人は、いくらかはあるが、
それよりも腰を弛めて動きをよくしたい人、
腰まわりが重い・かたいので楽になりたい人、
もっと腰を入れて姿勢をよくしたい人などは、
この後ろ反らしと前屈げをあわせて緊張させたり
動かしたりできるようになると、
日常生活に思いがけないいい効果が得られるものです。

腰の安らぎレッスン!椅子に座るだけですのでやってみて下さい。

腰前屈げには、椅子位または胡坐位で行うものと、
仰臥位で行うものがあります。


椅子位、胡坐位のいずれでも同様で背もたれが邪魔にならないよう、
お尻の位置を背もたれから5~10cmほど離して椅子に浅く腰掛けます。
そして、上体をタテまっすぐに立て、腰を後ろへ反らさないように、
骨盤の後ろの線をタテまっすぐに立てて坐ったところから始めます。

屈げる部位は骨盤のすぐ上あたりの
腰(第五腰椎を中心にして第四腰椎、仙椎まで)とし、
骨盤上端を後ろへ倒すように、
下端を前方へ押し出すように動かしていきます。
腰を屈げていくにつれて、骨盤の背面はその上端部が後ろへ
倒れかかるように傾斜していくことになります。

仰臥位は、椅子位の場合と同様、
骨盤下部を前方へ回転するように突き出しながら、
骨盤上部から腰部位のところで腰を前へ回転するように折り屈げて、
骨盤下部を床面から離して持ちあげていきます。

仰臥位の方が全身に余計な力が入らず、リラックスしやすいので、
腰を動かす感じや弛めていく感じがわかりやすいのが特徴です。
上体をタテにしている椅子位やあぐら坐りと違って仰臥位では、
ク幹部全体の力がよく抜かれているので、屈げようとして入れる力も、
勝手に入れてしまう力の様子も、ともにその感じがよくわかります。

TVを見ながら出来る座ったままのリラックス方法を公開!

椅子位では両膝を揃えてこぶし二つくらい離して腰掛け、
坐位では胡坐または伸ばした両脚を開いて座ったところから始めます。

いずれの姿位でも同様ですが、上体を出来るだけいっぱいまで前へ屈げていく。
腰まわりをできるだけ十分に弛めながら、上体を前に倒していきます。

肩や背中はなるべく動かさず、
腰まわりだけを脱力しながら屈げるようにして、
椅子位では胸のあたりが両膝頭へ着くくらいまで、
また坐位では前額を床面に着かせる気持ちで、上体を前に屈げていきます。


その際、胡坐位ではお尻が持ちあがりやすくなりますが、
そうならないようにします。
また、股や膝が痛くなりますが、そこに余計な力が入りすぎているのですから、
そんな力は十分に抜き、膝は痛くないように屈げて弛めます。

ここで屈げるのは方便で、弛めるが目的ですから、
屈げの力を強く入れて前へ屈げようとするのではなく、
まず腰の後部から背中にかけての緊張を十分に弛めながら、
弛んだ分だけ屈げていくような気持ちで進めていきます。

いちおうできる限りの前屈げに達したら、いま一度、十分な屈げを確認し、
そのままの上体を数秒間維持しながら、腰から背中にかけて、
静かにゆっくりと力を入れながら、上体を元のタテに立てた姿勢にもどします。

体の中心軸。腰まわりの痛みをとる方法

偏りや不調を招きやすい自体軸の要

人が立って歩くようになって以来、
腰は動作における人体の要としてきわめて重要な位置を占めてきました。


また、腰が定まるか否かは、その人物についても、
その業績についても、大きく評価を分けるものとされています。

その重要性のせいでしょうか、腰まわりは、心理的にも社会的にも、
あるいは生理的にも、さらには物理的にも、さまざまな影響を受けて
不当な緊張を生じたり不適切な動きをしたり、
あるいは制御が困難となったり、
偏りや不調を招きやすいところです。

自体軸がここで「く」の字に屈がったり、
柔軟性を失って動きが偏ったままとなったり、過剰に緊張したり、
さらには慢性化し、果ては腰痛に悩み、生理的には何も異常や傷害はないのに、
立てなくなったり、歩けなくなったりすることさえあります。

緊張を弛め、習慣化・慢性化して緊張や動きができにくくなっている
腰まわりを活性化し、同時に体の上半分と下半分を連結している
腰まわりの動きを柔軟・自由にします。

全身を貫く自体軸をタテまっすぐにしっかり立てて
適切な姿勢をとることによって無用な緊張や動きをなくすれば、
心身を安定化させるのに有効なことがわかってきました。

両肩を後ろへいっぱい開いてみて下さい。どこまで開きますか?

肩前屈げ肩後ろ屈げ

普段の肩の高さの状態のまま、両肩を前へ屈げる、
後ろに屈げ開くという動きをしていきます。最後に目指すのは、
両肩を後ろへ開いていくという動きです。これを、いっぱいまで開ききる。
どうしても肩に力を入れてうごかしたくなるものですが、
そうすればするほど、動きにくくなってしまいます。


むしろ反対に、最初からできる限り力を抜き、
十分な脱力状態からまず少しだけ後ろへ折り屈げるように両肩を
動かしてその感じを確かめてみます。

そこで動く感じがわかったら、いま入れた力も抜いて十分脱力しながら、
あらためて後ろへ折り屈げるように開いていきます。

その動かしていく感じを確かめながら、
少しずつ折り屈げの力を強めていきます。
その際、折り屈げ以外の随伴運動や随伴緊張が出そうになりますから、
さらに脱力してそれが出ないようにしながら、
一層後ろへ折り屈げの力をしっかりと入れていきます。

いっぱいまで屈げきったら、そのままの状態を数秒幹味わった後、
ゆっくりと静かに入れていた力を抜き、肩胛関節とそのまわりの緊張が
弛んでいくのを味わいながら、元の肩の位置にもどします。

元の位置まで戻っても、なお力を抜き続けて弛む感じに注意を向けていられたら、
そこが肩弛めの一回目の試行の終わりです。
じっくり、しっかりやれば、この試行一回だけでもリラクセーションの効果は
結構あがります。これを何回か繰り返すか否かはそのつど、
状況によって決めることになります。

癒しレッスン!両腕をいっぱいいっぱい挙げて下さい。そして・・・

肩挙げ・前屈げ

両肩挙げ状態から胸をすぼめるようにして両肩先を前方へ突き出すように
しながら両肩胛骨を前へ折り屈げていく。

ク幹部の中心軸はまっすぐに立てたまま動かさず、
両肩先だけを動かしていきます。両腕を前に突き出したり、
背中を丸めたり、頸をひっこめるように縮めたりなどという
随伴運動がでないように留意しながら前屈げを進めていきます。

これはあまりいっぱいまで屈げると、気分がよくなくなる人もいるので、
それは避けることにします。目的は肩胛関節を前方へ折り屈げるように
動かしていく感じが、なるべくはっきりと感じられるようになることです。

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肩上げ後ろ屈げ

肩前屈げと同様、先の肩挙げで
いっぱいまであげた状態から始めます。

そこから、胸を開くようにしながら、
両肩先を後ろへいっぱいまで引いていく。

肩の後方への屈げはなかなか難しいので、
その頑張りの途中で両肘を後ろへ引いたり、
背中や腰を反らせたり、頸を前へ突き出して“うなじ”を
縮めたりというような動きをしたくなりますがそんな随伴運動が出ると、
お目当ての肩の後ろへの屈げが妨げられるので、
そうしたよけいな動きをしないよう注意してもっぱら肩を
後ろへ屈げるだけに努めます。

肩へむやみに力を入れても、肩胛関節は動きません。
なるべく肩の力を抜いておき、あまり強くない、
というよりできるだけ弱い力で肩胛骨をまず少し動かし、
後ろへ開いていくにはどんな力を入れればいいか試してみます。

この感じだとわかったところで、いよいよ本番の肩開きを始めます。

癒しレッスン!ゆっくりですよ!ゆっくり静かに・・・

肩をできるだけあげたところで、数秒間そのまま保持し、
その感じをじっくり味わったら、そこから意識を転換して、
ゆっくり・静かにおろしていきます。


それまで入れていた力を抜いていく感じ、
その結果肩まわりの緊張の弛んでくる感じ、
それによっておりてくる肩と
そのまわりの体の動いてくる感じなどに注意を向け、
その感じをじっくりと味わいながら、おろしていきます。

途中でピクピクと緊張したり、突っ張りを感じたり、
あるいは痛みが出たりするかもしれません。
そんなとき、ついついグッと力を入れたり、緊張させたくなりますが、
そうならないよう、そのつど、いっそう力を抜き、
体の緊張を弛めたまま、そこを乗り越えていくのが重要ポイントです。

こうしておろしていくと、「これでいっぱいまでおろした」
と思うところで停止することになります。
ところが、そこであらためてじっくりと力を抜き、緊張を弛めながら、
もう一段、肩を降ろすように努めてみると、肩はさらにおりていきます。

今、そこがいっぱいまでおろしたところとすると、
その前に停止したところは、本人が普段の生活で、
肩をややいかり気味に緊張させているときの高さといっていいでしょう。

その高さといっぱいまでおろしたところとの差が、
肩まわりの緊張や肩凝りの原因とみることができます。

癒しレッスン!肩をゆっくり上げていきますよ。そして・・・

椅子位または坐位で、肩まわりと腕を十分に脱力したところから右肩を
まっすぐ上へいっぱいまであげていくのが課題です。


その際、ク幹部や頸が左右へ傾いたり屈がらないよう、
まっすぐのままに保ちます。

ここが自分であげられる限界と感じるところまであげたら、
そこからもう一息上まであげる努力を試みます。
そのとき、自体軸を肩のところで前へ屈げたり、
“うなじ”を縮めたり、頸を突き出したりせず、タテまっすぐに保ちます。

肩関節部位があがっていくにつれて肩胛骨が左回り気味に動いていく感じも、
確かめながらあげていきます。
あげる途中で痛みがでたら、無理せず、そこで停止します。

しばらく待つと、痛みが変質して緊張感となり、
さらには痛みが感じられなくなるので、もう一段あげていきます。

さらにあげるとまた痛みが出るので、また停止し、痛みが緊張感に変質し、
痛みが消えたら、またあげていきます。
十分にあげたら、そのままそこでしばらく停止して肩まわりの感じを味わった後、
さらにその感じを感じ続けるようにして、ゆっくりおろしていきます。

途中で緊張感が出たら、それを弛め、痛みが出たら停止して、
痛みが緊張感に変質して痛みが消えるのを待つという、
あげるときと同様の手順を踏みます。

肩と腰には要注意ですよ!そこさえリラックス出来れば全身OKです!

肩まわりは不当緊張の密集部位

肩まわりと腰まわりは、それらを串刺しにする格好で
自体軸が中央を貫通していて、それによって前後と左右に分別されています。
ともに上肢と下肢の元締めとして、タテに立って生きる人類の重要な
身体各部位からくるさまざまな緊張を集約・調整しています。


それだけに、肩まわりと腰まわりは、
不当な緊張の密集部位にもなっています。
特に肩周りは、そこが頭部をタテに立てる頸の基軸であると同時に、
左右の腕の付け根にもなっているため、
日常生活におけるあらゆる動作活動の要衝です。

肩凝りや四十肩にみられるように、それだけ緊張も無理や無駄あるいは
過剰なものになりやすく、それがまた習慣化したり慢性化して、
それへの対応をいっそう難しくしています。

したがって、リラックセーションといえば、
何はさておいてもこの部位から始まることになります。

この部位への対応・処置がうまくできれば、
もうそれだけでリラクセーションは十分といわれるほど、
一般に注目されているところです。

アソコの動かし方を正しく学んで下さい!

動作のイメージを実感として身につける

腕挙げには肩の関節を回転させることが必要条件だとわかっていれば、
その部位の不当な緊張を弛めるにはどうすればいいのか、
その関節を自分で回転させるためにはどんな努力の仕方が必要なのかなどが
わかっていれば、視覚イメージだけの時よりも、ずっとあげやすくなります。


しかし、ただ知識としてわかっているだけでは、なかなかあがらないどころか、
よけいな緊張をつくり出し、かえって困難にしてしまうかもしれません。
そのとき、肩関節まわりの緊張や弛緩の感じ、そのための力の入れ方・抜き方などに
ついての動作イメージが具体的な実感としてしっかりと身につけていれば、
そうした危険状態を自分で適切に処理できます。

動作をする本人にとっては、動作のための手がかり・足がかりの基準となり、
しかもそれを援助する人にとっては、相手の立場に立ちながら理解の基準となる
動作イメージが必要になってきます。

本人には、自分の体の全体がどうなっているのか、
その構造のなかで動くべき関節部位はどのように位置しているのか、
ボディ・マップができているはずです。

しかし、その関節がどうすれば動くのか、
どんなふうに力を入れればどのように動き、
どうすればその緊張が弛むのかなど、
関節の動かし方そのものがよく身についているとは
いえないことが少なくありません。

自分の事だからこそ返って分からない事、ありますよね。

始めると次の課題が見えてくる

自分の体のことですから、現在困っているのは体のどの部位で、
どういうことで悩んでいるか、それがこれからどうなっていけばいいのかなど、
自分のなすべき課題について、ある程度の検討はつけられるはずです。


ところが実際には、自分のことだからこそ
かえってわかりにくいということも少なくありません。

ことに、そうした困難や不調をつくり出している
元凶が自分自身ということで
あってみれば、冷静・客観的に眺めることは
必ずしも容易ではありません。

自分のどこを、どのように弛めればいいのか、
そのためにはリラクセーションのための課題をどのように選べばいいのか、
本人以外の他者、出来ればその方面の経験豊かな専門家に相談するのが
手っ取り早いということになります。

ついでに、その課題について努力していく
プロセスそのものについても、助言や補助・介助などの援助を
してもらうのが望ましいでしょう。

そのリラクセーションを進めるうちに、気持ちも落ち着き、
リラックスする要領もわかり、自分の体の過剰な緊張部位や無理な動き、
偏った姿勢などについても気づくようになります。

自ら働きかけてからだとの関係を変化させましょう。

自ら働きかけてからだとの関係を変化させる

生活上の問題や困難をいくら気づき、理解できても、
自らの体へ転化し、不当に緊張させることで辛うじてこころの安定を
維持してきた本人自身の生きざま、身の処し方まで、
そんなに簡単に変化することはないのが普通だからです。

誰しもが陥りやすいこのような奇妙な生き方、無理なしのぎ肩は、
不当かつ強固に習慣化されています。意識に上らないので、
本人にさえそれほど明確にはわかりません。


しかも、体のその部位、その局所、
あるいは全身に現れる筋の緊張や関節の動きが、
あたかも生理現象と間違えるほど身体化し、さらには慢性化して、
筋・骨格系の現実の変形や傷害まで引き起こすことがあります。

こうしたこころの持ち方と当人の体の間のきわめて特異な関係、
主体と体の間の関係を変えるためには、
何よりもまず主体の側から体へ働きかけることによって、
これまでの関係を変化させていくほかありません。

2012年6月1日金曜日

自分の体を犠牲にしてきた結果を想像してみて下さい!

ストレスをからだに転化してきた自分に気づく

筋の突っ張りや凝り、痛みなどの感じに悩むのは、
それが筋の過剰な緊張や不当な動き、偏った姿勢などのためのです。
しかも、それは本人自身がストレスや
フラストレーションからの逃避の手段として
自分の体を犠牲にしてきた結果なのですから、
自分の体に対するそんなやり方を改めなければならないのは当然です。

そのためには、これまで無視し続けてきた自分の体にあらためて
注意を向けなければなりません。


自分の体のさまざまな部位・局部など、すみずみの体の感じ、
気持ちによって変化するデリケートな筋の緊張の状況、
自分が体を動かし・動くプロセス全体の感覚、自体軸や姿勢などに
気を配って立ったり歩いたりする感じなどを、
まず体験し直すことが必要です。

こうして自分の体に注意を向け、緊張や動きの感じが実感として
体験できるようになるにつれて、それまでわからなかった
自分の体の不当な緊張の状態や無理な動き、
偏った姿勢などにも気づくようになっています。

さらに、日常生活における悩みや困難をそうした不当な緊張や動きに
無理矢理転化してきた状況も理解でき始めるようになります。

イメージによるリラックスが効果的です!

頑張らずに弛緩イメージを自己暗示

まったくリラックスしていない体なのに、
いきなり自分の体がリラックスしているとイメージしようとしても、
なかなかそんなことはできないものです。


ところが、しばらくその思いを繰り返したり、
頑張りはやめて何も考えないでいたり、
春風駘蕩の夢心地という状況に近づいてくると、
自然に体も緊張からかけ離れたものになってきます。

緊張はしていないがリラックスという感じではないという状況がしばらく続くと、
緊張と弛緩の中間にあった気分は徐々に変化してくるものです。
さらに、それにこころを向けていると、この感じがはっきりとしてきて、
身も心もリラックスのイメージしたような感じになってくるものです。

この感じはさらに続けていればだんだん明瞭になって、
本当に体がリラックスしてきたという実感的なものになってきます。
こうしてあまりはっきりしないイメージから、
現実にリラックスしているという実感が伴うようなものまで、
イメージにはその体験仕方にさまざまな程度の差があるのです。

それなりにリラックスというイメージをこころにとどめたままでいると、
少しずつそれが体に影響を及ぼし始め、その体の感じがこころに
リラックスの体験を明らかにし始めます。
それがリラックスの感じやイメージをいっそう実感的にそ、
それがさらに体の緊張を弛め、これがさらにリラックスの感じと
イメージを明確化していくという、
螺旋・循環的な強化を生み出していくことにます。

招かれざる客への対処法はこうだ!

弛緩イメージを意識的にならないよう自己暗示

動作イメージの場合、たいてい緊張へ向かって
自然活強烈に働くことは周知のとおりです。


まさに招かれざる客ですが、
それとは逆のリラックスするイメージというのは
それほど容易に体験できるものではないので、
そのためには積極的な工夫と努力が必要になってきます。

弛緩イメージには、
「からだが重たい」、
「背中が温かい」、
「日向ぼっこをしている」、
「お風呂につかっている」、
「気持ちが落ち着いている」、
「暖炉の前で暖をとっている」、
「リラックスしている気分」、
「身も心もリラックスしている」、
「全身が脱力している」などがあります。


その実現に向けて自分自身が意識的に努力するものと、
暗示のような意識下的な活動をするものがあります。

前者はなかなか実感的イメージになりにくく、
後者は他者暗示が有効であれば比較的容易に実感的・具体的な体験になりますが、
自己暗示は、意識的にならないように、それなりの練習をしたり、
実感的になるような経験を積まなくてはならないかもしれません。

無料で、しかもいつでも、自分に合ったリラックスを得られる秘義!

課題を実現して二次的に緊張をほぐしていく

体に直接働きかけてリラックスさせようという方法があります。
ここでは課題として、それなりの気分や雰囲気、
イメージ、想像などをすることです。


それを目指して努力活動をすることによって、
その課題が実現するにつれて、
いわば二次的に自分の体の緊張がほぐれるので、
体のその弛緩の感じが結果としてリラックス体験になるというわけです。

イメージはこころに描く像として定義されます。
現実の刺激に対するものでもそれは像ですから、これは実像と呼ばれ、
実現にはそこにない、いわば虚の像は心像と呼ばれます。

普通、このイメージは実際にはそこにないものと当人には
わかっているのが普通ですが、時によっては、
その虚の像が実際にそこにあるかのように体験することがあります。
この虚を実と感じるようなイメージの現実感には、
まったくの虚像と感じられるものから、
本当に現実の像として体験されるものまで、
さまざまな程度の差があります。

イメージでいえば視覚的なものとして一般に理解されていますが、
視覚に限らず、五官(目・鼻・舌・耳・皮膚)はもちろん、
あらゆる体験についての像を含みます。体の緊張や動きなど、
動作体験についても当然イメージがありますが、従来ほとんど注目されないままでした。
しかし、動作こそ日常生活の基礎をなすものですから、
そのイメージを無視することはできません。

心のリラックスと体のリラックスは必ずしも比例しない事を知って下さい!

こころの働きがなければリラックスできない

自分の体が楽になっている、全身がすっかりリラックスしている、
体のある部位・筋群が弛緩している、温かくて気持ちのいい場面にいる、
自分自身がリラックスしている、という体験をすることがあります。


しかも、それらがたんなる軽い感じというだけではなく、
本当の確かな実感として体験できることもあります。
しかも、こころの中で自分の体の筋群が弛緩しているという
主観的なイメージを体験するだけで、
それに対応した筋群が弛緩してくることもあります。

このように弛緩のイメージが実際に
生理的な筋弛緩を生じさせることがあるので、
「こころがリラックスさせる」という
考えを生み出す根拠ともなっているのです。

ここで問題を取り上げると、こころがそれ自体リラックスするということを
示すものではないから、自分の体をリラックスしているという
体の感じも体験できるものではありません。

他人にお任せ自分は脱力!たまりませんねぇ!

お任せ脱力で作った形を保持する

いざ自分で腕挙げの形をとろうと努力するとき、
適正な努力だけでできるならなんの問題もないのですが、
それに伴って勝手に入ってくる力、習慣化ないし自動化された
不当な緊張などが同時に加わってしまいます。


腕挙げの形を保持するためには、
この勝手に入ってくる妨害的な緊張を排除し、
適正な力だけしっかり入れられるようにしなければなりません。
すなわち妨害する緊張を排除しながら目指す形を保持するという、
二つの課題を同時に行うことになるのです。

それがもっとも出来やすい条件は完全脱力の状態から形を
保持するための力を入れる作業をすることです。

猫背や側湾、腰の後反りからくる腰痛、肘が伸ばせない肘痛、
O脚からくる膝の痛みなどのように、姿勢や自体軸などが屈がって
習慣化したようなものは、やはり自分ひとりではなかなか
その形を変えることができません。

他動補助によるお任せ脱力で、
まず形をつくっておき、それをそのままの形で
保持するという方法がやはりもっとも有効な補助法なのです。

自分ひとりで無理なら、誰かに手伝ってもらえばいいんです!

他者にお任せ、自体にお任せ

自分だけで弛められない緊張に悩まされているときは、
他者の援助を受けることになりますが、
そこでもやはり結構さまざまな難しさがあります。


援助してくれる相手への対応の仕方。
緊張の偏りや動きの誤りなどを相手にありのままの形で見てもらうのは
仕方ないとしても、そうした普段慣れ親しんできたやり方に変更を迫られ、
不得意な動き、不快な緊張、難しい努力をも
しなければならなくなるかもしれません。

相手のなすがままにわが身を任せるというのですから、
それなりの信頼関係がなければなりません。

もっと難しいのは、自分の体にお任せすること。
予期的な不安や恐怖のため、
ついつい普段のやり方で肘や肩にちからを入れてしまい、
無駄な緊張と痛みを誘い出してしまいます。

この号英の気持ちを捨て、いわば開き直って、
ついつい入れたくなる無用の力を我慢し、
自分の体にはいろうとする力を思い切って抜かなければなりません。

不当な緊張を弛め、あるがままの楽な気持ちを持ち、
緊張しそうなところであえて力を抜き、慢性緊張に出会っても、
迷わずそれを弛めていきます。
そのためには、自分の体を信じ、
わが身に任せきって事を運ぶ心構えができていなければなりません。

緊張ほぐしレッスン!まずはまっすぐ立って下さい。

関節部位が可動域いっぱいまで動くよう緊張をゆるめる

うまくタテまっすぐの一本棒が体の軸としてしっかり入ってくれば、
肩なり腰なりをつかまえて他動的に
一本棒を崩すように前後左右へ揺さぶっても、
ぐらぐら動いたり、そこで折れ曲がったりせず、
まっすぐ一本の形を崩さないまま、
他動の揺さぶりに対応できるほどに自体軸は確立されていきます。


立ってさえいればいいというだけでなく、
外力に対して途中で折れたり、
倒れたりすることなく、
しかもさまざまな身動きに対して、
それを妨げずに、より自由になるよう
積極的に支えなければなりません。

身体軸そのものの緊張の仕方を硬軟さまざまにして対応し、
その形状も自由に変化させたりする必要があります。
まっすぐだがしなやかに、かたいけれども柔軟に、
その場に応じて適切な体軸で対応できるようにします。
そのためには、坐位、仰臥位、立位いずれにおいても、
可動域いっぱいまでのク幹部の前屈げ、後反り、左右横屈げ、
左右捻りなどの動き、股や膝、脚首などの屈げや伸ばしの動くのを
妨げるような緊張がないよう、
十分に緊張を弛める努力をしなければなりません。

無理な緊張をせずあなたの自由にしていいんです。

自体軸をタテ直に立ててみよう

無理な緊張をせず、目指すとおりの動きを自由に実現し、
無駄のない作業を行うためには、
自体軸をタテ直に立てる努力が基本となります。


四肢を使って仕事をするのが普通ですから、
手や足の余計な緊張を弛めるのが大切なことは当然です。

それらの基盤をなすク幹部と、それを支える頭部と腰及び脚足を
しっかり安定させることが重要となりますが、
それには何よりも自体軸をタテ直に立てるような力を入れながら、
余計な緊張・偏った動きが入ってくる余地をなくし、
しっかりした軸をつくらなければなりません。

具体的にいえば、肩と背中には前に屈げようとする力が入るし、
腰には後ろへ反らせようとする力が入り、股関節は前屈げ、
膝は後ろ屈げという具合に、屈曲しようとする緊張が入りやすくなっています。
その屈曲はいずれも大地に平行に入るような力ですから、
これはタテ方向に逆らうヨコの力です。

その力によって、屈曲させないどころか、
どの屈曲部位も上下方向に伸ばすだけでなく、
踵を軸の中心において足裏全体で大地を
しっかり踏みしめなければなりません。

膝と股をタテに伸ばして腰を出さず・引かず、しっかりといれて腰を反らさず、
骨盤を立て背中を屈げず・反らさずタテに立て、
肩をやはり屈げず・反らさずタテ直に立て、
頸を反らさず・屈げず、肩胛骨をタテに立てながら、
それと強調しながら頸を立てるという具合です。

O脚改善法を完全公開!簡単にできます。ぜひやってみて下さい!

自体軸がしっかりすれば痛みは消える

人体はいくらか猫背になっていたり、腰が反り気味の人もいたり、
斜めに捻れていることもあります。


そんな人でも、その外形を統合してタテ直に立てようとする力さえ
しっかり入っていれば、現状においてはその人にとってそれなりに
一番無理のない楽な姿勢ということになるからです。

変形性膝関節症と呼ばれるO脚で膝の痛みに悩まされている人の場合、
膝をまっすぐに伸ばすような力を入れながら、股関節から膝、
踵へとタテまっすぐに脚全体を踏みしめなければなりません。

さらにまた足裏は、両外側を浮かせ気味にしながら、
内側で踏みつけるように足首へ力を入れることが大切です。
踵から膝、股関節とタテまっすぐに踏みしめた脚の上に、
その上部構造であるク幹部がやはりタテ直の自体軸に沿って
しっかりと立てられていなければなりません。

こうして膝を中心にして全身がタテ直になるような踏みしめの力をいれても、
ただちにO脚がまっすぐにはならないかもしれません。
その形はなおO脚のままだとしても、膝や股関節、脚の内側を通して、
ある程度しっかりした踏みしめが出来るようになるにつれて、
少なくとも膝の痛みは軽減・消滅しやすくなります。

すなわち、ここで大切なことは、形のうえで膝がまっすぐになれば
それに越したことはありませんが、
それにはなお相応の努力と時間を要するということです。
たとえまっすぐにはならなくても、タテ直にしようという本人の努力が適切なら、
それが痛みへの対応として役立つことが分かっています。

猫背、腰屈がり、O脚も自分で変えられるんです!

猫背、腰屈がり、O脚も自分で変えられる

体は足の上に脚が、その上に腰が、
そして背中、肩、頸、頭が順に乗り重なっていますが、
積み木を重ねたのとは違って、それらを一体として
機能的に統合している力があるはずです。

各身体部位をタテに貫く芯棒のように入っている力と考えられるので、
それをいま「身体軸」としておきます。


この身体軸は、人によって屈曲の著しいこともあれば、
ほとんど屈曲せず、まっすぐなひともいます。

それは従来考えられてきたような生理的な
個人差として規定されたものというよりは、
本人自身が自分の身体軸を習慣的・恒常的に自分で屈げたり
まっすぐにしてきた結果とみられます。

すなわち、その屈曲の特徴は、本日自信の形成ですから、
それを「自体軸」と呼べば、意識するしないにかかわらず、
自体軸は当人がそれを自分で屈げたり伸ばしたりできるはずの力です。
これは、いわゆる猫背や腰屈がり、O脚など、姿勢に関わることも、
自分の努力で変えられるということを意味します。

2012年5月31日木曜日

姿勢の歪みは、よけいな緊張により作られています!

姿勢の歪みはよけいな緊張がつくる

坐位であろうと膝立ち位、椅子位、あるいは立位、であろうと、
人が自分の体を立てているとき、少なくもク幹部は重力に対応して
タテの線に合わせた形をとっています。


ところが、ク幹部を側面からみると、背中が屈がっていたり、
腰が反ったりしていることがあります。
さらに、正面からみて右や左に湾曲する
側湾といわれる形になっている人もいます。

人体が大地上に安定して立つためには、
やや前傾気味がよいとされていますから、
そこまでは、許容範囲としても、それよりさらに
傾斜している場合も少なくありません。

こうして体のある部位がまっすぐの線から逸脱して屈曲していたり、
前・後傾が著しいような場合、そこにどうしてもよけいな緊張が入りやすく、
姿勢を維持するために余計な力を入れなければなりません。
というより、むしろ肩、背中、腰などに余計な緊張が入っているため、
その結果として姿勢が屈曲してしまうのです。
これにより、立位、椅子位、坐位などいずれの姿位においても、
その姿勢を保持するだけ無駄な力を費やしたり、
余計な緊張をすることになります。

パートナーと一緒にリラクゼーションの世界へ!

「お任せ」しきってリラックス

ストレッチングがリラクセーションに非常に有用な方法といえるのは、
筋が引っ張られるのが外力による刺激なので、
主体がその筋の部位を明確に感知しやすいためです。


外力による引っ張り刺激も弱いところからだんだん強くなっていくものなので、
それを有益なものとして受け容れてさえいれば、
主体の気持ちもその刺激に応じて協調できます。

これによって、その部位の力を徐々に抜いていくことができ、
それとともにそれなりに胆をくくって筋の緊張をも弛めていきやすくなります。

まず余計かつ無用な力を肩に入れず、
できる限りしっかりその部位の力を抜くことです。
出来るだけ十分に緊張を弛めながら、
相手ないし自分の押したり引いたりする補助の手に、自分のからだなり、
その部位の筋なりを「お任せ」しきって、脱力し続けなければなりません。

○○は最も有効なリラクゼーション

筋の伸びる条件はリラクセーション

ストレッチングがリラクセーションの方法として
非常に役立つものと考えています。
リラクセーションの立場からストレッチングを見直すことによって、
ストレッチングの目指す生理的効果もより大きなものになるでしょう。

さらに、単なる生理的効果にとどまらず、心理的なものとの相乗効果によって、
心身両面からなる一層大きな効果が期待できるからです。

すなわち、「引っ張って伸ばす」というストレッチングの課題を
本当に実現するためには、引っ張りに抵抗して収縮している筋の
「緊張」を弛めなければなりません。


しかし、外的な伸展刺激に従って刺激どおりに筋緊張が弛み、
その結果として筋が伸びていくというような話で片づけられるほど、
いきている人体は単純ではありません。

筋が伸びるのは、ゴム紐を引きのばすのとは違います。
伸びるにつれて筋に痛みが生じ、それがだんだん強くなっていくのですから
普段ならそれに対する防衛ないし拒否の態度をとるところです。

そうせずに、我慢して伸びるのにまかせながら、
積極的に外力に呼応して自ら筋の緊張を弛めていくような努力をしなければ、
ストレッチングがうまくできることなどありえません。

オリンピック選手も、プロ野球選手もやっています!

「引っ張って伸ばす」ストレッチング

しばらく前からスポーツ関係者のあいだで注目されているものに、
ストレッチングという方法があります。


ストレッチングでは、
「腕を引っ張って」肩関節の動きに関わる僧帽筋なり
三角筋なりを「引き伸ばす」のが目的です。

ストレッチングとは、筋や腱を「引っ張って伸ばす」ことを言うのです。
からだを動かしたり、緊張したりすると、筋は収縮します。
筋は、スポーツなどの激しい筋活動によって弾性を失い、
柔軟でなくなると、切れたり破裂しやすくなり、怪我の原因となります。

また、血管を圧迫したり変形させ、老廃物をたまりやすくし、
筋疲労が取れにくくなります。そこで、硬くなった筋を伸展させ、
筋に弾力性と柔軟性を取りもどそうというのが
その目的だと説明されています。

引っ張るだけでは伸びない
ストレッチングは、もっぱら筋の収縮とそれを引き伸ばすという
生理・物理的な視点で説明されていますが、実際に外的な力で筋を
引っ張れば、引っ張られたとおりすんなり伸びるかというと
現実にはなかなかそうはいきません。

むやみに引っ張れば、それに抵抗して
帰って筋が収縮し強烈な収縮状態にさえなりかねません。

なぜなら筋肉という生理物体だけが単独に存在しているわけではないからです。
体が生きている限り、その筋、あるいはその体の持ち主である主体が納得して、
その気にならなければ、外的に加えられる力によって
筋が引き伸ばされるなどということは起こりえないからです。

あなたの肩はどこまで上がりますか?一緒に難所を乗り越えましょう!

動作の難所を越える方法

実際に腕挙げのコースを進めていく際にもっとも難しいのは、
それをさえぎるかのようにそこに居すわって邪魔をする緊張の存在、
すなわちその道程における難所にどう対処するか、
いかにそこを乗り越えるということです。


四十肩や肩挙げなどはそのいい例ですが、
そのほかどんな種類の捜査でも、
どこかにそうした難所のあることが少なくありません。
そんなとき、それを越えられなければ、
意図どおりの動作は実現できないことになってしまいます。

完全に弛めきるまでにはいかなくても、
とにかくそれまで動かせなかった腕や肩、
脚などがある程度自由に動かせるようになるので、
仕方なしにやっていたごまかしの動きも、
よけいな緊張や無理な動貸し方も、
しないで済むようになるからです。

動作全体の構造が変化して自由かつ活性化するので、
やっとのことで難所越えができるようになった腕や肩などの
動きより積極的に促進することになります。

これが、居すわり緊張を一層軽減しやすくし、
あるいはそんな緊張は自然に消えてなくなることもすくなくありません。

レッスン!体のどこに故障があるのかまずは見つけなければいけません!

慢性的な緊張の位置を見つける

まず、上げられる最小限の力、すなわち微緊張で右肩を
ゆっくり静かにあげていくと課題です。

上げるにつれて、肩を中心にした周辺の感じが
だんだんよくわかるようになると同時に、
それが徐々に変化していくのも感じられるようになります。


右肩をあげるにつれてだんだん力が入ってくるので、
元の微緊張にもどすように緊張を弛めながら、
さらに肩挙げを進めていきます。

微緊張を維持しながら、さらに肩をあげていくと、抵抗が現れますが、
その抵抗はそれまでとは違う突っ張りか痛みの感じを伴っています。
それに対抗しようと力を入れたくなって、
ついつい余計に緊張してしまいがちですが、
そこを頑張って、うんと脱力した微緊張のままさらにあげていくと、
そこではっきりした痛みの感じが現れます。

この突っ張りや痛みの感じが出たところが、
実はこの肩挙げコース内に居すわっている習慣性ないし
慢性的な緊張の位置なのです。

そこであげていく力を停止します。抜くのでも弛めるのでもなく、
また後もどりするのでもなく、その位置で、あげてきた力のまま停止するのです。
停止したまま、その痛みに注意を向けてしばらくすると、
その痛みの感じがジワーと変質してくるのがわかります。
そのままなお注意を向けていると、
さきほどまでの痛みの感じはだんだん軽減して、
一種の残効の後、消え去ってしまうのが普通です。

全ての人が必ず陥る慢性的な緊張をほぐしましょう!

からだの「かたさ」を調べてみよう

ストレスを強く感じるようになって、緊張しやすくなったが、
そのせいで、体が重くなり、突っ張る感じ、だるさや疲労感が
ひどくなり部位の特定はできないものの、
頭痛やからだの節々の痛みなどを感じやすくなったなどと感じていて、
なんとかしてリラックスできるようになりたい
と望んでいる人が少なくありません。

そんな人に、椅子に腰掛けている上体を膝小僧に着けるように
前に屈げてみましょうと言っても、半分程度までも達しません。
量方を両耳に着けるほどあげてみましょうと言っても、
肩が水平かそれより少し上ぐらいまでしか
あがらないのが普通の大人なのです。


肩のあたりや腰のまわり、あるいはその他さまざまな部位に
習慣性または慢性の緊張が入っていて、体をかたくさせ、動きを妨げ、
不活発にする元になっていることが分かります。

そんな人の場合は、どこから始めてもいいのですが、
どこか一つの部位なり局部なりで
十分にリラックスしたという実感が得られると、
それにつれて、体のあちこちが弛められるようになることがあります。
やる気が出て、積極的なリラクセーションへの取り組みができるように
なることも多いのです。

スイッチが入っていればどうすればいいと思いますか?

自分が力を入れ続けていることに気づくことが次の課題

緊張は自分が力を入れ続けているために生じているものです
あまりに日常的で、むしろ望ましいものとして習慣化されているため、
本人はそのことにほとんど気づいていません。

次の課題としては、本人自身がその事実に気づくことです。
そのこと自体に気づいていないにしても、
力を入れる・抜くというのは意識的な努力によるものですから、
それに注意を向けさえすれば、
すぐに理解もでき、実行もできるはずです。


緊張のあることに気づき、
それが自分の入れた力によってしょうじているという
事実にも気づけば、後はその緊張を弛めるだけということになります。

力を入れるのと同様、力を抜くのは意識努力ですから、
それまで入れていた力を徐々に抜きながら、
それによって起こる緊張の感じが変化し、
緊張の弛んでいく様子を感じとれるようにします。

しかも、その力の抜き方によって緊張の弛み方も変わってくるという
状況にも注目するようにします。

緊張を捨てなさい!

余計な緊張に気づくことが最初の課題

緊張感を捨てなさいと言っても、
それが容易にできるわけではありません。

さいわい緊張感は、その存在を肩の凝り、
腰の痛みなどの身体的な緊張として、
その所在を明らかにしています。

それらの部位に本人自身が力を入れて緊張させているのが原因ですから、
それを止めさえすればいいのです。
まず大切なのは、肩なり背中などに筋の緊張が生じ始めたことに
できる限り早期に気づくことです。


気づいたらその力を拭き、生じている緊張をできる限り弛め、
ふたたび仕事にもどるという手順になります。
こうした手順になじんでくるにつれて、
自分のからだに対する関心が高くなって、
肩や頸など、お定まりの部位の緊張に敏感となり、
それを手がかりにしてよけいな力を入れていることに
気づきやすくなってくるものです。

問題としては、どれほど自分のからだの緊張にこころが
向けられるようになるかということなのです。
リラクセーションではこのようにからだの余計な緊張が
生じていることに気づくことが増す最初の課題となります。

2012年5月30日水曜日

分からないまま快楽を求めてはいけません!しっかり見直して下さい。

仕事や日常生活では緊張感が支えになっている

リラクゼーションが難しいのは、
自分が緊張していることに気づいていないからです。

気づいていればそれを対象にしてなんとか弛めることができるのですが、
その対象がわからないのですから手の打ちようがありません。

たとえば、肩と頸にひどく力を入れてせっせと仕事をしている人が、
仕事終わりに肩のあたりが大変強く凝っていることに気づきますが、
それを引き起こしている原因である肩の力をいれながら仕事をするという、
いわば一種の仕事習慣に気づいていないことがあります。


この人は肩に緊張感があってはじめて仕事をしている気分になれるので、
肩もそれなりに応じて緊張させなければなりません。
力まないと仕事が進まない人。

仕事になるとからだのどこか余計なところに力が入ってしまう人など、
仕事と緊張感を一体として据えている人は少なくありません。

日常生活を緊張感なしには送ることのできない人が想像以上にたくさんいるようです。
特に日本では精神をしっかりすること、頑張ること、
緊張すること、本気で取り組むことなどがよしとされているので、
こういう風土では無用・不当な緊張感からくる肩凝りや腰痛、
そのほか突っ張りや痛みの感じに悩む人が決して少なくありません。

ゆっくりです。ゆっくりですよ!やさしく戻してください!

ジェイコブソンの基本的な弛緩方法

反らせた手首を元の位置にもどしていくとき、動く感じ、
動かす感じがありますが、これはとりあえず無視し、
もどすにつれて生じる弛緩感を味わいます。

次に前の半分程度まで反らせ、やはり緊張感があるのを確認してから、
手首の力を抜きながら弛緩感を味わっていきます。

さらに、手首をほんのわずかだけ
反らせただけでも緊張感は味わえるので、
それを確認してから、力を十分に抜きながら
弛緩感を明確化していきます。


そしてさらに、手首を動かさないまま、
反らせるために入れたのと似た力を入れてみます。
動かさなくても動かしたときと同様の筋緊張の感じが出てくるので、
それを明確化した後、入れていた力を抜きながら、
それにつれて緊張の弛んでいく感じを味わいます。

力をさらに抜いていくにつれて、弛緩感も一層深まっていくでしょう。
このようにして十分に力を抜ききったところで
弛緩も完全なものになるというので、
ジェイコビソンはこれを「完全弛緩」と名づけたのです。

リラックスは手首から!緊張感と弛緩感をあえて味わってみてください。

ジェイコブソンの基本的な弛緩方法

ジェイコブソンの筋弛緩法はリラクセーションの有効な方法です。
緊張を弛めるといっても、普通はなかなか容易には抜きとれないものです。

しかし、彼のやり方は完全な筋弛緩のための方法だといいます。
例えれば、手首や肘、足首や膝などの関節を屈げるための筋群、
反らすための筋群、眼球の上・下・左・右などをみる動作のための筋群、
遠く・近くを見る動作の為の筋群などのように、
体の直接動かすための筋群のうちのどれか一つを特定し筋弛緩の対象にします。


手首を反らせる筋群の場合、その筋群を弛めるためには、
まず手首をじっくりと反らせながらそれに伴って生じる
その部位の筋の緊張の感じに注意を凝らします。

いっぱいまで反らせたら、
その時の腕の緊張している感じをじっくりと味わいます。

それが手首を反らす時の緊張感です。
この感じを十分に味わったら、次にそれまで入れてきた手首を
反らす力を徐々に抜いていきます。

それとともに、反らせた手首の緊張の感じは変化して、
だんだん弛んでいきます。
さらに力を抜いていくにつれて、その弛む感じは
一層はっきりした弛緩感となってきます。

このとき、入れた力を抜いていくにつれて、
それに連動して感じられる緊張の低下していく感じを弛緩感として、
やはりじっくりと味わい、明確にしていきます。

あなたは知っていますか?自分では制御できない自分を

微弱緊張で動作を始め、必要なら援助

勝手に入ってくる緊張や動きは、
ふだん強い緊張や動きをしているときには、
その恒常的な傾向をあらわにしないものです。

それでいて競技の最中とか、ここ一番というときに出現しやすく、
弱点を突かれることになります。
こうした緊張の出現にもっとも対応しやすいのは、
弱い緊張下でしかもある
目的的な動きを進めていく意識的な動作活動です。


微弱緊張による動作の最中に、しかもある特定の部位・局部において、
そうした「意識下的に入る緊張」が露呈しやすくなると
同時に自分で制御もしやすくなるものです。

たとえば、先の四十肩での腕挙げと同じ動作を他の人に補助してもらう
他動補助による仰臥姿位で進めるとしましょう。
坐位や椅子位だと上体をタテに立てなければならないので、
それに随伴して肩や頸、背中などに無用の緊張が出やすいのですが、
仰臥位だとそれらが制御しやすくなります。

四十肩五十肩で悩んではいませんか?

心理的な緊張が弛むと楽になる

勝手に入ってくる緊張や動きは、
当人の意識には上がらないものです。

以前はこれを生理・神経的な急速興奮によるものと考えたこともありますが、
興奮させた神経刺激は結局、生理的原因とはいえませんでした。

本人自身の意識には上がらない努力によるものとみるほかありません。
すなわち、意識しないまま、自分でそうしているだけのことですから、
それもやはり本人の動作の一つというわけです。

しかも、この種の緊張や動作はここ一番という大切な場面を
台無しにしてしまうことがあります。


こうした緊張や動作が心理的なものであるということは
理解されるようになりました。

しかし、それに対する処置としては、こころを安静にする、
精神を落ち着かせる、精神統一する、迷いの根源を絶つなどのように
説教じみた言葉が羅列されるだけで本人任せで放置されていました。

ところが最近よい調べてみると、
このように勝手に入ってしまう緊張や動きも、
肩凝りや四十肩、五十肩などの同様、体のある部位ないし局部に
その人特有の緊張傾向として存在しているもので、
それを十分に弛めると、勝手に入ってしまう緊張から
思いがけなく自由になったという例がいくつも出てきました。

全く無意識に筋肉がプルプルしてしまう人必見です!

意識に上がらない緊張にはさまざまなものがある

動作とは自分で意図し、それを実現しようとする本人の努力によって
起きるからだの緊張ないしは動きとされています。
たとえば腕を上げようとするとき、肩を一緒にあげたり、
肩を前に突き出したり、頸や肘を屈げる、
反対側の腕を突っ張るなどのように腕挙げという主たる
課題に随伴して課題以外の緊張や動きが現れるもので、
「随伴緊張」「随伴運動」と呼ばれています。


また、微妙で細かな精密作業を注意深く慎重に進めようというときなど、
途中で思いがけなくピリッと緊張が入って作業を妨害することがあります。

それほど微妙な作業でなくても、ある動きをしている途中、
肘や腕、肩や頸などにピクッと緊張が走って、
その動きのコースを乱すということがよくあります。

このあたりへきたところでとくに失敗しないようにと、
こだわりながらある動作を進めていると、
こだわりどおりの動きが出てします、
緊張して動けなくなるなどということもあります。

こうすれば極上のリラックスを得る事が出来ます!

意識に上がらない緊張は残留しやすい

緊張は、走るという意識的な努力活動が
終わればおおむねなくなるものですが、
その緊張は残留します。意識的な努力でもそうですが、
意識に上がらないままの緊張はどうしてもすんなりとは解消しにくい、
それがまたまた残留し、時にはそのまま居残ることさえもあります。

肩凝りや腰痛などは、走るに限らずどんな作業の場合でも、
いわゆる根を詰めて頑張ったりすれば、たいていの人に見られます。


このように、さまざまな緊張感が絡み合ってからだの緊張感が
形成されているのですから、リラクセーションするためには、
目指す動作に直接かかわる緊張を弛めるだけでなく
細かな配慮が必要となります。

もちろん、はじめに意図した動きや
作業のための緊張を弛めることは大切ですが、
同時に入れすぎる緊張、
勝手に入ってしまう緊張、
以前からの残留緊張、
部位選択的に習慣的に入る緊張、
慢性化している緊張などに気づいているほど、
あるいはそれぞれに対応しようと心がけ、力の抜き方に工夫を凝らすほど、
リラクセーションがうまくできるようになります。

悲しいかな日本人の国民性が筋肉の強張りを招いています・・・

緊張に気づくことがリラクセーションの始まり

なれない作業だと、どうしてもよけいな力をいれたり、
準備段階で力みすぎたり、予期的緊張で
無駄な力を入れたりしてしまいがちです。

いよいよ作業になっても、必要以上に力を入れ、
無駄な動きで筋肉のエネルギーを浪費してしまうこともあります。

たとえ無駄でも、「頑張れ、頑張れ」と強い力を入れ、
緊張が高いほど、しっかり仕事をしていると感じるのが
この国の人々の一般的な傾向だからです。


緊張に気づくことがリラクセーションの始まり

なれない作業だと、どうしてもよけいな力をいれたり、
準備段階で力みすぎたり、予期的緊張で無駄な力を入れたりしてしまいがちです。
いよいよ作業になっても、必要以上に力を入れ、
無駄な動きで筋肉のエネルギーを浪費してしまうこともあります。

たとえ無駄でも、「頑張れ、頑張れ」と強い力を入れ、
緊張が高いほど、しっかり仕事をしていると感じるのが
この国の人々の一般的な傾向だからです。

2012年5月29日火曜日

力を入れる事に緊張し、抜いて弛める事に緊張する。矛盾ですか?

力の抜き方を自覚しよう

自分の努力でいったん生じさせた
筋緊張を積極的かつ確実に弛めるには、
入れていた力をただ単に抜くだけでなく、
積極的に弛めるような力の抜き方をするように
努力しなければなりません。

ところが緊張させるための力の入れ方はうまくできても、
その緊張を弛める力の抜き方については
あまり上手でないのが一般的傾向です。

入れた力は抜ききったのか、その後の緊張はどのようになったのかなどに
注意を払うまでもなく、元の状態にもどっているものと思っています。
だからこそ、緊張が残り、習慣化しあるいは慢性化して
処置なしということになってしまうのです。


ここで大切なのは、弛めるときも緊張させていくとき同様、
抜いていく力と、それにつれて弛んでいくからだの緊張の程度や状況を
しっかり感知し、相互の関係や変化の状況に応じて調整しながら、
からだに緊張を感じなくなるところまで、ゆっくり力を抜いていくことです。
そのためには、力を抜いていく努力の仕方、抜いていく感じ、
および緊張を弛める努力の仕方、弛んでいく簡易などに、
どれだけ注意を払い、以下に適切に努力できるか、
どれほどしっかり感じをつかみながら弛める努力が
できるかなどが重要な条件となります。

もっとも簡単なリラックス方法をご紹介します。

人間の力は電気のスイッチとは違う

リラクゼーションのもっとも基本的な方法と言えば、
入れた力を抜いて筋の緊張を弛めるということに尽きるでしょう。

何か作業をするというとき、その意図を実現するには、
必要な緊張なり動きができるように
力を入れる努力をしなければなりません。

意図が実現し、動きなり作業なりが終わったら、
そこで力を入れるという努力もやめるのですから、
同時にそれまでの努力で生じた筋緊張もなくなるはずです。


電気刺激に対する筋繊維の収縮実験では、刺激が消えれば
「all or nonの法則」に従って収縮も元にもどるはずですが、
力入れる・抜くという人間の努力は、
スイッチの開閉のように瞬間処理ができるわけではありません。

また筋繊維も単一でなく複数筋群であってみれば、
一瞬のうちに元へもどるなどというわけにはいかず、
自然に元へもどるというプロセスに任せるほかありません。
しかし、それでは時間もかかるし、元へもどる力も弱く、
しっかり元へもどるかどうかもわかりません。

幸せを感じる瞬間、あなたの筋肉も喜んでいます!

自己弛緩は自分の意識下との調整

筋群の緊張が弛むという生理的な現象がたいへん重要なことです。
しかし、自分で自分のからだを「弛める」自己弛緩という
心理活動について述べて行きます。

努力によって弛められたからだ、
筋群への生理的な効果は言うまでもありませんが、
自信によるリラクセーション、すなわち自己弛緩という手段を通して、
そのからだの持ち主である主体が自らよりよく生きるために活動すること、
及びそのプロセスにおいて、他では得られないさまざまな貴重で
有益な体験が得られるからです。


自己弛緩のプロセスでは、主体が自ら弛めようという意志をもって、
ともすれば無用な緊張に走ろうとする自分のからだ、
すなわち「自体」と自分自身に真正面から立ち向かいます。
自己弛緩を行おうとしている自分と、緊張をつくり出している
自分との間競合関係が生じ、ない分の新旧の両自己間で対決を
迫られる羽目に陥ります。
これが、自己弛緩をしようとする主体にとって解決しなければならない
基本の課題となります。

あなたの本能は「弛む」事を望んでいます!

「弛む」と「弛める」

「弛む」ことをよしとするのは、収縮・緊張している筋群の緊張水準が
低下した状態にあることを重視するからです。

物理的・価格的他者による緊張緩和や体操などのように、
もともとの目的ではないのにその副次効果としてリラックスする方法などは、
すべて筋弛緩という生理状態そのものの変化を目指しています。

筋の弛緩という生理現象のけんかが生体のさまざまな生理的及び
心理的活動に重要な影響を及ぼす事実がわかっているからです。


それに対して「弛める」ことを重視するのは、
自分のからだの緊張レベルを高いところから低いところへ、
自分自身で低下させていく本人自身の目的実現的な努力、
すなわち動作という心理活動を意識し、
さらにはそれぞれができるようになることを目指しているからです。

したがって、ここではたとえいかに筋緊張のレベルが低下しようとも、
それに本人自身が主体的に関わり、それを目指した努力の結果として
生じたものでなければ評価しません。

弛緩とおい生理的な状態の実現されることは重要となるのです。
しかし、筋緊張の弛緩を目指して懸命に努力しても、
客観的に筋弛緩がみられない場合、それが無駄だったとは必ずしも考えないのが、
この立場のいま一つの特徴です。

ひとつでいいんです!あなたなりの○○を見つけて下さい!

さまざまなリラクセーション

日常生活の動作にも、ストレスへの適切な対応の為にも、
適度なからだの緊張とそれを感受した緊張感は欠くことのできないものです。

しかし、それが過剰になると、所期の動作を妨げ、こころの活動を不安定にし、
ストレスをさらに増幅し、それがからだの緊張を高めて、
内臓その他さまざまな心身の問題の原因ともなっていきます。

したがって、過剰な緊張、不当なストレスが起きないように、
それらを適切にコントロールしなければなりません。


不要・過剰な緊張が低下するように筋群を弛めることを
リラクセーションといいますが、自分で弛める場合と、
他者が弛める場合の二つがあります。

按摩、マッサージ、冷湿布、などのような物理刺激、
筋弛緩剤や精神安定剤などのような生科学刺激が、
たしゃによる緊張緩和法として広く行われ、それぞれ効果をあげてきました。
さらに諸種の体操、ジョギング、
競技などのようにひと汗かくことでリラックスする方法、
他者暗示・他者催眠などにとってリラックスする
イメージを体験する方法などがあります。

日常生活は緊張の連続!気持ちの休まる暇さえありません。

日常生活は緊張の連続

日常生活は安穏・無事であるようにみえながら、
それなりに気配りしなければならないこと、
努力や工夫を凝らさなければならないこと、
さらにさまざまな考えことなどが少なくありません。

無理を承知で頑張らなければならないこともあって、
実際には気苦労も多く、ストレスもたまります。

ストレスは外部から迫ってくるものではなく、
自分自身でこしらえて、それに悩んだり、
脅かされたりするものですから、
いわばイメージ緊張の一つとして考えられるでしょう。
困難を乗り越えていく過程こそが人生というものであり、
いつでもどんな状況でも、
いささかも動じることなく冷静・適切に対応できるというのは
人生のよほどの大達人でないかぎり容易なことではありません。


特殊な緊張を感じるほどの筋緊張を生じさせるのは
実はほかでもない自分自身なのですが、意識に上がらない意識下で
やったことですから、自分がそうしたのではなく、
あたかも自然に緊張したかのように感じられます。

すなわち、ストレスに対して自分のこころが緊張したというふうに
感じているのですが緊張したのは自分の体であってこころではありません。
その意味で、こころが緊張するかのようにいわれている通説は間違いです。
こころそのものが緊張するのではなく、
こころは自分が緊張させた自分のからだの緊張を感じているだけなのです。

「イメージ緊張」想像力豊かな人ほど陥ってしまいます

予期的なイメージによる「イメージ緊張」

明日の試験のことを考えてる受験生、
開催地へ乗り込んでからの数日間、
だんだん緊張が強くなって事前の
「あがり」がひどくなった選手などのうように、
現実にはその場面にいないのに、
それを予期して頭のなかでその場面を
イメージしただけで緊張してしまうことがあります。

しかも、このイメージによる緊張は、
現実の場面での緊張よりはるかに
踞売れるであることも珍しくありません。


現実の場面ではそれほど緊張しないのみ、
事前のいわば予期的なイメージであがってしまった、
あるいはただ単にフッと思いついただけのイメージが増殖・発展して、
いても立ってもいられないほどの緊張を招いたなどという
経験のある人も少なくないでしょう。
神経質な人、完全癖・強迫観念などがあるような神経症的な倍、
あるいはうつ気分などの場合には、こうしたイメージがもとで、
よけいな緊張が生じやすくなるものです。

「場面緊張」人前でしゃべることは苦手ですか?

状況によって起きる「場面緊張」
ふだんならとくに緊張することなく、活動できるのに、
人前での発言や試験・面接を受ける・競技に挑む際などという場面では、
緊張が過剰になることがしばしばあります。

すでによく習熟しているし、
あらかじめ準備万端整っているはずなのに、
実際には動きがまだ始まっていない準備段階でも
緊張が過剰になってしまいます。


事前の段階で過剰に緊張して冷静さを失い、すっかりあがって、
本番になってもふだん通りの動作ができず、動きや緊張が意図から逸れて、
何をするつもりだったのか、どうすればいいのかわからなくなり、
することなすこと無我夢中、
自分ではしっかりしているつもりでもやっていることは支離滅裂、
せっかくの発言や競技も混乱のままという羽目に陥ることも少なくありません。

ある動作をするとき、その人が置かれた状況によって左右される緊張を
「場面緊張」と呼びます。
このような緊張は、その現れ方や生じる部位が人によって違っていて、
動作の仕方に及ぼす影響もそれぞれ特徴があります。

2012年5月22日火曜日

「恒常緊張」緊張状態を慢性化させてしまうと危険です!

習慣化、慢性化する「恒常緊張」

初めての動作や難しい作業、また自分のものになっていない課題などでは、
その動作のための緊張の程度がよくわからず、
力の調整がうまく今ない場合があります。

その動作になれ熟達するにつれて、だんだんと現実に馴染み、
適度なものとなります。
ところが、よほど慣れてきても、必要・十分な力だけを入れ、
それが済んだあと不要な力はしっかり抜ききる、
これらを確実にやり終えることはではありません。
そんなことまで意識してやっている人はほとんどなく、
いわば習慣ないし惰性でやっているのが普通だからです。


したがって、緊張もいくつか過不足のままかもしれないし、
力を抜くのも不十分になりがちです。
こうした不完全な緊張や残留する緊張は、
体のあちこちの部位や関節にだんだん蓄積され、
習慣化し、挙げ句の果てには慢性化して、目指す動きを妨げたり、
必要な緊張に干渉したりしかねません。
このように、体のある部位に盤踞して緊張や動きに
重要な影響を与える緊張を「恒常緊張」と呼びます。

ストレス

こころの問題と言えばすぐさまストレスという言葉が思い浮かぶほど、
ストレスは日常化しています。

そのストレスはあたかも私たちにまわりに
満ち溢れているかのように思われていますが、
そんなものが客観的に存在して、
私たちに外部から襲いかかってくるわけではありません。

ストレスというものは、自分自身が主観的にこしらえている幻影に過ぎないのです。


たかが幻影、されどストレス。
こしらえた本人がそれに悩まされ、脅かされて、
さまざまなこころの門譜代や困難を生み出しているのです。

ストレスに直面しそれに対して、克服しようとする本人自身の
努力で成り立っているのが私たちの日常生活です。
すなわち私たちは、こころの中で感じる「緊張の感じ」を
中心にしたさまざまなストレスをさまざまな仕方で体験し、
それに対応しながらこころの安定をはかっているのです。

普段の生活で私たちは、ストレスの種類や程度に応じて、
その都度体の緊張や構え、態度などを変化させながら、
それなりに対応・処理して、ストレスを変性・解消しています。

ところが、この処理は必ずしもうまくできるとは限りません。
ストレスを事故処理できるような適度な緊張の為の努力の仕方に馴染み、
体に過剰・不当な緊張が生じたら、それを自分で適切に弛めて
解消するような自己努力の仕方を身につけるほかありません。
それがリラクゼーションなのです。


リラクゼーションといえば、「筋肉がゆるむこと」と
思い込んでいる人が少なくありません。

按摩、鍼灸、マッサージ、振動などの物理刺激、
筋群や表皮への薬剤での刺激、筋弛緩剤のような生科学的な方法、
他人に動かしてもらう機械的な身体運動など一般に行われているのはそのためです。

もちろん、それらがそれなりの効果を持っていることは無視できませんが、
そのいずれかでも、そうした刺激の効果がなくなれば元の木阿弥になるのは必定です。

この厄介で不適切な緊張は、意識する・しないにかかわらず、
もともと自分が自分の体に働きかけて自らつくりだしたものですから、
その原因にさかのぼってそんな緊張をしなければいいのですが、
生きて生活している限り、人生はそれほど平坦無事ではありません。

平凡な普通の人間である私たちは、いつでも大なり小なりストレスを感じています。
それに伴ってさまざまに緊張するのは、当然のことなのです。
時にはそれがむしろ必要なこともあります。

このようなストレスの存在を前提として、それなりの緊張があった場合に、
それになるべく早く気付き、その緊張を弛め、
その緊張をしないですむような努力が出来るようになれば、
生活の仕方、人生の生き方までが大きく変化することになるでしょう。
巷間行われている筋の整理的な弛みを目的とするものではありません。

自分のからだの「緊張を自分で弛めた」という本人自身の心理的な
努力活動を目指しているのです。
本人がどうすればいいのか、それにはどういう難しさがあるのか、
その際にいかなる気持ち・体験の仕方をするのか、
どんな努力をする必要があるのかなどという、こころの内面的・主体的な活動を
指してリラクセーションと言っているのです。

2012年4月19日木曜日

準備緊張ってご存知ですか?動かなくても体は強張っています。

緊張ということについて考えた時、
椅子から立ち上がったり、発言しようとしたりする際の動きが現実に始まれば、
筋群の活動もそれに対応するのは当然です。


しかし、まだ実際にはそうしていない状態でも、
頭の中でただ単にそう思っているだけの場合と、
本当に「その気」になっているときとでは、
生理的におおきな違いがあります。

単に思っているだけでも脳波レベルの変化はみられますが、
本気になっているときは、さらに筋電図レベルにも変化が現れ、
筋群まで緊張していることがわかります。
動作のいわば準備状態でも「準備緊張」とでもいうべき筋緊張が生じているのです。

こうした「準備緊張」も、それに続いて起こる立ったり歩いたり
話したりなどという生活上の動作も日ごろ慣れ親しんでいるどうさですから、
特に力むこともありません。

それでいて必要な力だけは適切にだすように努力するという、
ほどほどの「やる気」と、
体の適度な緊張がおのずと生じています。
いくらか肝ばったり、無理している場合でも、
一定の範囲内にとどまっていて、
適応できる閾値を超えることはないのが普通です。