「弛む」と「弛める」
「弛む」ことをよしとするのは、収縮・緊張している筋群の緊張水準が
低下した状態にあることを重視するからです。
物理的・価格的他者による緊張緩和や体操などのように、
もともとの目的ではないのにその副次効果としてリラックスする方法などは、
すべて筋弛緩という生理状態そのものの変化を目指しています。
筋の弛緩という生理現象のけんかが生体のさまざまな生理的及び
心理的活動に重要な影響を及ぼす事実がわかっているからです。
それに対して「弛める」ことを重視するのは、
自分のからだの緊張レベルを高いところから低いところへ、
自分自身で低下させていく本人自身の目的実現的な努力、
すなわち動作という心理活動を意識し、
さらにはそれぞれができるようになることを目指しているからです。
したがって、ここではたとえいかに筋緊張のレベルが低下しようとも、
それに本人自身が主体的に関わり、それを目指した努力の結果として
生じたものでなければ評価しません。
弛緩とおい生理的な状態の実現されることは重要となるのです。
しかし、筋緊張の弛緩を目指して懸命に努力しても、
客観的に筋弛緩がみられない場合、それが無駄だったとは必ずしも考えないのが、
この立場のいま一つの特徴です。
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