2012年5月31日木曜日

姿勢の歪みは、よけいな緊張により作られています!

姿勢の歪みはよけいな緊張がつくる

坐位であろうと膝立ち位、椅子位、あるいは立位、であろうと、
人が自分の体を立てているとき、少なくもク幹部は重力に対応して
タテの線に合わせた形をとっています。


ところが、ク幹部を側面からみると、背中が屈がっていたり、
腰が反ったりしていることがあります。
さらに、正面からみて右や左に湾曲する
側湾といわれる形になっている人もいます。

人体が大地上に安定して立つためには、
やや前傾気味がよいとされていますから、
そこまでは、許容範囲としても、それよりさらに
傾斜している場合も少なくありません。

こうして体のある部位がまっすぐの線から逸脱して屈曲していたり、
前・後傾が著しいような場合、そこにどうしてもよけいな緊張が入りやすく、
姿勢を維持するために余計な力を入れなければなりません。
というより、むしろ肩、背中、腰などに余計な緊張が入っているため、
その結果として姿勢が屈曲してしまうのです。
これにより、立位、椅子位、坐位などいずれの姿位においても、
その姿勢を保持するだけ無駄な力を費やしたり、
余計な緊張をすることになります。

パートナーと一緒にリラクゼーションの世界へ!

「お任せ」しきってリラックス

ストレッチングがリラクセーションに非常に有用な方法といえるのは、
筋が引っ張られるのが外力による刺激なので、
主体がその筋の部位を明確に感知しやすいためです。


外力による引っ張り刺激も弱いところからだんだん強くなっていくものなので、
それを有益なものとして受け容れてさえいれば、
主体の気持ちもその刺激に応じて協調できます。

これによって、その部位の力を徐々に抜いていくことができ、
それとともにそれなりに胆をくくって筋の緊張をも弛めていきやすくなります。

まず余計かつ無用な力を肩に入れず、
できる限りしっかりその部位の力を抜くことです。
出来るだけ十分に緊張を弛めながら、
相手ないし自分の押したり引いたりする補助の手に、自分のからだなり、
その部位の筋なりを「お任せ」しきって、脱力し続けなければなりません。

○○は最も有効なリラクゼーション

筋の伸びる条件はリラクセーション

ストレッチングがリラクセーションの方法として
非常に役立つものと考えています。
リラクセーションの立場からストレッチングを見直すことによって、
ストレッチングの目指す生理的効果もより大きなものになるでしょう。

さらに、単なる生理的効果にとどまらず、心理的なものとの相乗効果によって、
心身両面からなる一層大きな効果が期待できるからです。

すなわち、「引っ張って伸ばす」というストレッチングの課題を
本当に実現するためには、引っ張りに抵抗して収縮している筋の
「緊張」を弛めなければなりません。


しかし、外的な伸展刺激に従って刺激どおりに筋緊張が弛み、
その結果として筋が伸びていくというような話で片づけられるほど、
いきている人体は単純ではありません。

筋が伸びるのは、ゴム紐を引きのばすのとは違います。
伸びるにつれて筋に痛みが生じ、それがだんだん強くなっていくのですから
普段ならそれに対する防衛ないし拒否の態度をとるところです。

そうせずに、我慢して伸びるのにまかせながら、
積極的に外力に呼応して自ら筋の緊張を弛めていくような努力をしなければ、
ストレッチングがうまくできることなどありえません。

オリンピック選手も、プロ野球選手もやっています!

「引っ張って伸ばす」ストレッチング

しばらく前からスポーツ関係者のあいだで注目されているものに、
ストレッチングという方法があります。


ストレッチングでは、
「腕を引っ張って」肩関節の動きに関わる僧帽筋なり
三角筋なりを「引き伸ばす」のが目的です。

ストレッチングとは、筋や腱を「引っ張って伸ばす」ことを言うのです。
からだを動かしたり、緊張したりすると、筋は収縮します。
筋は、スポーツなどの激しい筋活動によって弾性を失い、
柔軟でなくなると、切れたり破裂しやすくなり、怪我の原因となります。

また、血管を圧迫したり変形させ、老廃物をたまりやすくし、
筋疲労が取れにくくなります。そこで、硬くなった筋を伸展させ、
筋に弾力性と柔軟性を取りもどそうというのが
その目的だと説明されています。

引っ張るだけでは伸びない
ストレッチングは、もっぱら筋の収縮とそれを引き伸ばすという
生理・物理的な視点で説明されていますが、実際に外的な力で筋を
引っ張れば、引っ張られたとおりすんなり伸びるかというと
現実にはなかなかそうはいきません。

むやみに引っ張れば、それに抵抗して
帰って筋が収縮し強烈な収縮状態にさえなりかねません。

なぜなら筋肉という生理物体だけが単独に存在しているわけではないからです。
体が生きている限り、その筋、あるいはその体の持ち主である主体が納得して、
その気にならなければ、外的に加えられる力によって
筋が引き伸ばされるなどということは起こりえないからです。

あなたの肩はどこまで上がりますか?一緒に難所を乗り越えましょう!

動作の難所を越える方法

実際に腕挙げのコースを進めていく際にもっとも難しいのは、
それをさえぎるかのようにそこに居すわって邪魔をする緊張の存在、
すなわちその道程における難所にどう対処するか、
いかにそこを乗り越えるということです。


四十肩や肩挙げなどはそのいい例ですが、
そのほかどんな種類の捜査でも、
どこかにそうした難所のあることが少なくありません。
そんなとき、それを越えられなければ、
意図どおりの動作は実現できないことになってしまいます。

完全に弛めきるまでにはいかなくても、
とにかくそれまで動かせなかった腕や肩、
脚などがある程度自由に動かせるようになるので、
仕方なしにやっていたごまかしの動きも、
よけいな緊張や無理な動貸し方も、
しないで済むようになるからです。

動作全体の構造が変化して自由かつ活性化するので、
やっとのことで難所越えができるようになった腕や肩などの
動きより積極的に促進することになります。

これが、居すわり緊張を一層軽減しやすくし、
あるいはそんな緊張は自然に消えてなくなることもすくなくありません。

レッスン!体のどこに故障があるのかまずは見つけなければいけません!

慢性的な緊張の位置を見つける

まず、上げられる最小限の力、すなわち微緊張で右肩を
ゆっくり静かにあげていくと課題です。

上げるにつれて、肩を中心にした周辺の感じが
だんだんよくわかるようになると同時に、
それが徐々に変化していくのも感じられるようになります。


右肩をあげるにつれてだんだん力が入ってくるので、
元の微緊張にもどすように緊張を弛めながら、
さらに肩挙げを進めていきます。

微緊張を維持しながら、さらに肩をあげていくと、抵抗が現れますが、
その抵抗はそれまでとは違う突っ張りか痛みの感じを伴っています。
それに対抗しようと力を入れたくなって、
ついつい余計に緊張してしまいがちですが、
そこを頑張って、うんと脱力した微緊張のままさらにあげていくと、
そこではっきりした痛みの感じが現れます。

この突っ張りや痛みの感じが出たところが、
実はこの肩挙げコース内に居すわっている習慣性ないし
慢性的な緊張の位置なのです。

そこであげていく力を停止します。抜くのでも弛めるのでもなく、
また後もどりするのでもなく、その位置で、あげてきた力のまま停止するのです。
停止したまま、その痛みに注意を向けてしばらくすると、
その痛みの感じがジワーと変質してくるのがわかります。
そのままなお注意を向けていると、
さきほどまでの痛みの感じはだんだん軽減して、
一種の残効の後、消え去ってしまうのが普通です。

全ての人が必ず陥る慢性的な緊張をほぐしましょう!

からだの「かたさ」を調べてみよう

ストレスを強く感じるようになって、緊張しやすくなったが、
そのせいで、体が重くなり、突っ張る感じ、だるさや疲労感が
ひどくなり部位の特定はできないものの、
頭痛やからだの節々の痛みなどを感じやすくなったなどと感じていて、
なんとかしてリラックスできるようになりたい
と望んでいる人が少なくありません。

そんな人に、椅子に腰掛けている上体を膝小僧に着けるように
前に屈げてみましょうと言っても、半分程度までも達しません。
量方を両耳に着けるほどあげてみましょうと言っても、
肩が水平かそれより少し上ぐらいまでしか
あがらないのが普通の大人なのです。


肩のあたりや腰のまわり、あるいはその他さまざまな部位に
習慣性または慢性の緊張が入っていて、体をかたくさせ、動きを妨げ、
不活発にする元になっていることが分かります。

そんな人の場合は、どこから始めてもいいのですが、
どこか一つの部位なり局部なりで
十分にリラックスしたという実感が得られると、
それにつれて、体のあちこちが弛められるようになることがあります。
やる気が出て、積極的なリラクセーションへの取り組みができるように
なることも多いのです。

スイッチが入っていればどうすればいいと思いますか?

自分が力を入れ続けていることに気づくことが次の課題

緊張は自分が力を入れ続けているために生じているものです
あまりに日常的で、むしろ望ましいものとして習慣化されているため、
本人はそのことにほとんど気づいていません。

次の課題としては、本人自身がその事実に気づくことです。
そのこと自体に気づいていないにしても、
力を入れる・抜くというのは意識的な努力によるものですから、
それに注意を向けさえすれば、
すぐに理解もでき、実行もできるはずです。


緊張のあることに気づき、
それが自分の入れた力によってしょうじているという
事実にも気づけば、後はその緊張を弛めるだけということになります。

力を入れるのと同様、力を抜くのは意識努力ですから、
それまで入れていた力を徐々に抜きながら、
それによって起こる緊張の感じが変化し、
緊張の弛んでいく様子を感じとれるようにします。

しかも、その力の抜き方によって緊張の弛み方も変わってくるという
状況にも注目するようにします。

緊張を捨てなさい!

余計な緊張に気づくことが最初の課題

緊張感を捨てなさいと言っても、
それが容易にできるわけではありません。

さいわい緊張感は、その存在を肩の凝り、
腰の痛みなどの身体的な緊張として、
その所在を明らかにしています。

それらの部位に本人自身が力を入れて緊張させているのが原因ですから、
それを止めさえすればいいのです。
まず大切なのは、肩なり背中などに筋の緊張が生じ始めたことに
できる限り早期に気づくことです。


気づいたらその力を拭き、生じている緊張をできる限り弛め、
ふたたび仕事にもどるという手順になります。
こうした手順になじんでくるにつれて、
自分のからだに対する関心が高くなって、
肩や頸など、お定まりの部位の緊張に敏感となり、
それを手がかりにしてよけいな力を入れていることに
気づきやすくなってくるものです。

問題としては、どれほど自分のからだの緊張にこころが
向けられるようになるかということなのです。
リラクセーションではこのようにからだの余計な緊張が
生じていることに気づくことが増す最初の課題となります。

2012年5月30日水曜日

分からないまま快楽を求めてはいけません!しっかり見直して下さい。

仕事や日常生活では緊張感が支えになっている

リラクゼーションが難しいのは、
自分が緊張していることに気づいていないからです。

気づいていればそれを対象にしてなんとか弛めることができるのですが、
その対象がわからないのですから手の打ちようがありません。

たとえば、肩と頸にひどく力を入れてせっせと仕事をしている人が、
仕事終わりに肩のあたりが大変強く凝っていることに気づきますが、
それを引き起こしている原因である肩の力をいれながら仕事をするという、
いわば一種の仕事習慣に気づいていないことがあります。


この人は肩に緊張感があってはじめて仕事をしている気分になれるので、
肩もそれなりに応じて緊張させなければなりません。
力まないと仕事が進まない人。

仕事になるとからだのどこか余計なところに力が入ってしまう人など、
仕事と緊張感を一体として据えている人は少なくありません。

日常生活を緊張感なしには送ることのできない人が想像以上にたくさんいるようです。
特に日本では精神をしっかりすること、頑張ること、
緊張すること、本気で取り組むことなどがよしとされているので、
こういう風土では無用・不当な緊張感からくる肩凝りや腰痛、
そのほか突っ張りや痛みの感じに悩む人が決して少なくありません。

ゆっくりです。ゆっくりですよ!やさしく戻してください!

ジェイコブソンの基本的な弛緩方法

反らせた手首を元の位置にもどしていくとき、動く感じ、
動かす感じがありますが、これはとりあえず無視し、
もどすにつれて生じる弛緩感を味わいます。

次に前の半分程度まで反らせ、やはり緊張感があるのを確認してから、
手首の力を抜きながら弛緩感を味わっていきます。

さらに、手首をほんのわずかだけ
反らせただけでも緊張感は味わえるので、
それを確認してから、力を十分に抜きながら
弛緩感を明確化していきます。


そしてさらに、手首を動かさないまま、
反らせるために入れたのと似た力を入れてみます。
動かさなくても動かしたときと同様の筋緊張の感じが出てくるので、
それを明確化した後、入れていた力を抜きながら、
それにつれて緊張の弛んでいく感じを味わいます。

力をさらに抜いていくにつれて、弛緩感も一層深まっていくでしょう。
このようにして十分に力を抜ききったところで
弛緩も完全なものになるというので、
ジェイコビソンはこれを「完全弛緩」と名づけたのです。

リラックスは手首から!緊張感と弛緩感をあえて味わってみてください。

ジェイコブソンの基本的な弛緩方法

ジェイコブソンの筋弛緩法はリラクセーションの有効な方法です。
緊張を弛めるといっても、普通はなかなか容易には抜きとれないものです。

しかし、彼のやり方は完全な筋弛緩のための方法だといいます。
例えれば、手首や肘、足首や膝などの関節を屈げるための筋群、
反らすための筋群、眼球の上・下・左・右などをみる動作のための筋群、
遠く・近くを見る動作の為の筋群などのように、
体の直接動かすための筋群のうちのどれか一つを特定し筋弛緩の対象にします。


手首を反らせる筋群の場合、その筋群を弛めるためには、
まず手首をじっくりと反らせながらそれに伴って生じる
その部位の筋の緊張の感じに注意を凝らします。

いっぱいまで反らせたら、
その時の腕の緊張している感じをじっくりと味わいます。

それが手首を反らす時の緊張感です。
この感じを十分に味わったら、次にそれまで入れてきた手首を
反らす力を徐々に抜いていきます。

それとともに、反らせた手首の緊張の感じは変化して、
だんだん弛んでいきます。
さらに力を抜いていくにつれて、その弛む感じは
一層はっきりした弛緩感となってきます。

このとき、入れた力を抜いていくにつれて、
それに連動して感じられる緊張の低下していく感じを弛緩感として、
やはりじっくりと味わい、明確にしていきます。

あなたは知っていますか?自分では制御できない自分を

微弱緊張で動作を始め、必要なら援助

勝手に入ってくる緊張や動きは、
ふだん強い緊張や動きをしているときには、
その恒常的な傾向をあらわにしないものです。

それでいて競技の最中とか、ここ一番というときに出現しやすく、
弱点を突かれることになります。
こうした緊張の出現にもっとも対応しやすいのは、
弱い緊張下でしかもある
目的的な動きを進めていく意識的な動作活動です。


微弱緊張による動作の最中に、しかもある特定の部位・局部において、
そうした「意識下的に入る緊張」が露呈しやすくなると
同時に自分で制御もしやすくなるものです。

たとえば、先の四十肩での腕挙げと同じ動作を他の人に補助してもらう
他動補助による仰臥姿位で進めるとしましょう。
坐位や椅子位だと上体をタテに立てなければならないので、
それに随伴して肩や頸、背中などに無用の緊張が出やすいのですが、
仰臥位だとそれらが制御しやすくなります。

四十肩五十肩で悩んではいませんか?

心理的な緊張が弛むと楽になる

勝手に入ってくる緊張や動きは、
当人の意識には上がらないものです。

以前はこれを生理・神経的な急速興奮によるものと考えたこともありますが、
興奮させた神経刺激は結局、生理的原因とはいえませんでした。

本人自身の意識には上がらない努力によるものとみるほかありません。
すなわち、意識しないまま、自分でそうしているだけのことですから、
それもやはり本人の動作の一つというわけです。

しかも、この種の緊張や動作はここ一番という大切な場面を
台無しにしてしまうことがあります。


こうした緊張や動作が心理的なものであるということは
理解されるようになりました。

しかし、それに対する処置としては、こころを安静にする、
精神を落ち着かせる、精神統一する、迷いの根源を絶つなどのように
説教じみた言葉が羅列されるだけで本人任せで放置されていました。

ところが最近よい調べてみると、
このように勝手に入ってしまう緊張や動きも、
肩凝りや四十肩、五十肩などの同様、体のある部位ないし局部に
その人特有の緊張傾向として存在しているもので、
それを十分に弛めると、勝手に入ってしまう緊張から
思いがけなく自由になったという例がいくつも出てきました。

全く無意識に筋肉がプルプルしてしまう人必見です!

意識に上がらない緊張にはさまざまなものがある

動作とは自分で意図し、それを実現しようとする本人の努力によって
起きるからだの緊張ないしは動きとされています。
たとえば腕を上げようとするとき、肩を一緒にあげたり、
肩を前に突き出したり、頸や肘を屈げる、
反対側の腕を突っ張るなどのように腕挙げという主たる
課題に随伴して課題以外の緊張や動きが現れるもので、
「随伴緊張」「随伴運動」と呼ばれています。


また、微妙で細かな精密作業を注意深く慎重に進めようというときなど、
途中で思いがけなくピリッと緊張が入って作業を妨害することがあります。

それほど微妙な作業でなくても、ある動きをしている途中、
肘や腕、肩や頸などにピクッと緊張が走って、
その動きのコースを乱すということがよくあります。

このあたりへきたところでとくに失敗しないようにと、
こだわりながらある動作を進めていると、
こだわりどおりの動きが出てします、
緊張して動けなくなるなどということもあります。

こうすれば極上のリラックスを得る事が出来ます!

意識に上がらない緊張は残留しやすい

緊張は、走るという意識的な努力活動が
終わればおおむねなくなるものですが、
その緊張は残留します。意識的な努力でもそうですが、
意識に上がらないままの緊張はどうしてもすんなりとは解消しにくい、
それがまたまた残留し、時にはそのまま居残ることさえもあります。

肩凝りや腰痛などは、走るに限らずどんな作業の場合でも、
いわゆる根を詰めて頑張ったりすれば、たいていの人に見られます。


このように、さまざまな緊張感が絡み合ってからだの緊張感が
形成されているのですから、リラクセーションするためには、
目指す動作に直接かかわる緊張を弛めるだけでなく
細かな配慮が必要となります。

もちろん、はじめに意図した動きや
作業のための緊張を弛めることは大切ですが、
同時に入れすぎる緊張、
勝手に入ってしまう緊張、
以前からの残留緊張、
部位選択的に習慣的に入る緊張、
慢性化している緊張などに気づいているほど、
あるいはそれぞれに対応しようと心がけ、力の抜き方に工夫を凝らすほど、
リラクセーションがうまくできるようになります。

悲しいかな日本人の国民性が筋肉の強張りを招いています・・・

緊張に気づくことがリラクセーションの始まり

なれない作業だと、どうしてもよけいな力をいれたり、
準備段階で力みすぎたり、予期的緊張で
無駄な力を入れたりしてしまいがちです。

いよいよ作業になっても、必要以上に力を入れ、
無駄な動きで筋肉のエネルギーを浪費してしまうこともあります。

たとえ無駄でも、「頑張れ、頑張れ」と強い力を入れ、
緊張が高いほど、しっかり仕事をしていると感じるのが
この国の人々の一般的な傾向だからです。


緊張に気づくことがリラクセーションの始まり

なれない作業だと、どうしてもよけいな力をいれたり、
準備段階で力みすぎたり、予期的緊張で無駄な力を入れたりしてしまいがちです。
いよいよ作業になっても、必要以上に力を入れ、
無駄な動きで筋肉のエネルギーを浪費してしまうこともあります。

たとえ無駄でも、「頑張れ、頑張れ」と強い力を入れ、
緊張が高いほど、しっかり仕事をしていると感じるのが
この国の人々の一般的な傾向だからです。

2012年5月29日火曜日

力を入れる事に緊張し、抜いて弛める事に緊張する。矛盾ですか?

力の抜き方を自覚しよう

自分の努力でいったん生じさせた
筋緊張を積極的かつ確実に弛めるには、
入れていた力をただ単に抜くだけでなく、
積極的に弛めるような力の抜き方をするように
努力しなければなりません。

ところが緊張させるための力の入れ方はうまくできても、
その緊張を弛める力の抜き方については
あまり上手でないのが一般的傾向です。

入れた力は抜ききったのか、その後の緊張はどのようになったのかなどに
注意を払うまでもなく、元の状態にもどっているものと思っています。
だからこそ、緊張が残り、習慣化しあるいは慢性化して
処置なしということになってしまうのです。


ここで大切なのは、弛めるときも緊張させていくとき同様、
抜いていく力と、それにつれて弛んでいくからだの緊張の程度や状況を
しっかり感知し、相互の関係や変化の状況に応じて調整しながら、
からだに緊張を感じなくなるところまで、ゆっくり力を抜いていくことです。
そのためには、力を抜いていく努力の仕方、抜いていく感じ、
および緊張を弛める努力の仕方、弛んでいく簡易などに、
どれだけ注意を払い、以下に適切に努力できるか、
どれほどしっかり感じをつかみながら弛める努力が
できるかなどが重要な条件となります。

もっとも簡単なリラックス方法をご紹介します。

人間の力は電気のスイッチとは違う

リラクゼーションのもっとも基本的な方法と言えば、
入れた力を抜いて筋の緊張を弛めるということに尽きるでしょう。

何か作業をするというとき、その意図を実現するには、
必要な緊張なり動きができるように
力を入れる努力をしなければなりません。

意図が実現し、動きなり作業なりが終わったら、
そこで力を入れるという努力もやめるのですから、
同時にそれまでの努力で生じた筋緊張もなくなるはずです。


電気刺激に対する筋繊維の収縮実験では、刺激が消えれば
「all or nonの法則」に従って収縮も元にもどるはずですが、
力入れる・抜くという人間の努力は、
スイッチの開閉のように瞬間処理ができるわけではありません。

また筋繊維も単一でなく複数筋群であってみれば、
一瞬のうちに元へもどるなどというわけにはいかず、
自然に元へもどるというプロセスに任せるほかありません。
しかし、それでは時間もかかるし、元へもどる力も弱く、
しっかり元へもどるかどうかもわかりません。

幸せを感じる瞬間、あなたの筋肉も喜んでいます!

自己弛緩は自分の意識下との調整

筋群の緊張が弛むという生理的な現象がたいへん重要なことです。
しかし、自分で自分のからだを「弛める」自己弛緩という
心理活動について述べて行きます。

努力によって弛められたからだ、
筋群への生理的な効果は言うまでもありませんが、
自信によるリラクセーション、すなわち自己弛緩という手段を通して、
そのからだの持ち主である主体が自らよりよく生きるために活動すること、
及びそのプロセスにおいて、他では得られないさまざまな貴重で
有益な体験が得られるからです。


自己弛緩のプロセスでは、主体が自ら弛めようという意志をもって、
ともすれば無用な緊張に走ろうとする自分のからだ、
すなわち「自体」と自分自身に真正面から立ち向かいます。
自己弛緩を行おうとしている自分と、緊張をつくり出している
自分との間競合関係が生じ、ない分の新旧の両自己間で対決を
迫られる羽目に陥ります。
これが、自己弛緩をしようとする主体にとって解決しなければならない
基本の課題となります。

あなたの本能は「弛む」事を望んでいます!

「弛む」と「弛める」

「弛む」ことをよしとするのは、収縮・緊張している筋群の緊張水準が
低下した状態にあることを重視するからです。

物理的・価格的他者による緊張緩和や体操などのように、
もともとの目的ではないのにその副次効果としてリラックスする方法などは、
すべて筋弛緩という生理状態そのものの変化を目指しています。

筋の弛緩という生理現象のけんかが生体のさまざまな生理的及び
心理的活動に重要な影響を及ぼす事実がわかっているからです。


それに対して「弛める」ことを重視するのは、
自分のからだの緊張レベルを高いところから低いところへ、
自分自身で低下させていく本人自身の目的実現的な努力、
すなわち動作という心理活動を意識し、
さらにはそれぞれができるようになることを目指しているからです。

したがって、ここではたとえいかに筋緊張のレベルが低下しようとも、
それに本人自身が主体的に関わり、それを目指した努力の結果として
生じたものでなければ評価しません。

弛緩とおい生理的な状態の実現されることは重要となるのです。
しかし、筋緊張の弛緩を目指して懸命に努力しても、
客観的に筋弛緩がみられない場合、それが無駄だったとは必ずしも考えないのが、
この立場のいま一つの特徴です。

ひとつでいいんです!あなたなりの○○を見つけて下さい!

さまざまなリラクセーション

日常生活の動作にも、ストレスへの適切な対応の為にも、
適度なからだの緊張とそれを感受した緊張感は欠くことのできないものです。

しかし、それが過剰になると、所期の動作を妨げ、こころの活動を不安定にし、
ストレスをさらに増幅し、それがからだの緊張を高めて、
内臓その他さまざまな心身の問題の原因ともなっていきます。

したがって、過剰な緊張、不当なストレスが起きないように、
それらを適切にコントロールしなければなりません。


不要・過剰な緊張が低下するように筋群を弛めることを
リラクセーションといいますが、自分で弛める場合と、
他者が弛める場合の二つがあります。

按摩、マッサージ、冷湿布、などのような物理刺激、
筋弛緩剤や精神安定剤などのような生科学刺激が、
たしゃによる緊張緩和法として広く行われ、それぞれ効果をあげてきました。
さらに諸種の体操、ジョギング、
競技などのようにひと汗かくことでリラックスする方法、
他者暗示・他者催眠などにとってリラックスする
イメージを体験する方法などがあります。

日常生活は緊張の連続!気持ちの休まる暇さえありません。

日常生活は緊張の連続

日常生活は安穏・無事であるようにみえながら、
それなりに気配りしなければならないこと、
努力や工夫を凝らさなければならないこと、
さらにさまざまな考えことなどが少なくありません。

無理を承知で頑張らなければならないこともあって、
実際には気苦労も多く、ストレスもたまります。

ストレスは外部から迫ってくるものではなく、
自分自身でこしらえて、それに悩んだり、
脅かされたりするものですから、
いわばイメージ緊張の一つとして考えられるでしょう。
困難を乗り越えていく過程こそが人生というものであり、
いつでもどんな状況でも、
いささかも動じることなく冷静・適切に対応できるというのは
人生のよほどの大達人でないかぎり容易なことではありません。


特殊な緊張を感じるほどの筋緊張を生じさせるのは
実はほかでもない自分自身なのですが、意識に上がらない意識下で
やったことですから、自分がそうしたのではなく、
あたかも自然に緊張したかのように感じられます。

すなわち、ストレスに対して自分のこころが緊張したというふうに
感じているのですが緊張したのは自分の体であってこころではありません。
その意味で、こころが緊張するかのようにいわれている通説は間違いです。
こころそのものが緊張するのではなく、
こころは自分が緊張させた自分のからだの緊張を感じているだけなのです。

「イメージ緊張」想像力豊かな人ほど陥ってしまいます

予期的なイメージによる「イメージ緊張」

明日の試験のことを考えてる受験生、
開催地へ乗り込んでからの数日間、
だんだん緊張が強くなって事前の
「あがり」がひどくなった選手などのうように、
現実にはその場面にいないのに、
それを予期して頭のなかでその場面を
イメージしただけで緊張してしまうことがあります。

しかも、このイメージによる緊張は、
現実の場面での緊張よりはるかに
踞売れるであることも珍しくありません。


現実の場面ではそれほど緊張しないのみ、
事前のいわば予期的なイメージであがってしまった、
あるいはただ単にフッと思いついただけのイメージが増殖・発展して、
いても立ってもいられないほどの緊張を招いたなどという
経験のある人も少なくないでしょう。
神経質な人、完全癖・強迫観念などがあるような神経症的な倍、
あるいはうつ気分などの場合には、こうしたイメージがもとで、
よけいな緊張が生じやすくなるものです。

「場面緊張」人前でしゃべることは苦手ですか?

状況によって起きる「場面緊張」
ふだんならとくに緊張することなく、活動できるのに、
人前での発言や試験・面接を受ける・競技に挑む際などという場面では、
緊張が過剰になることがしばしばあります。

すでによく習熟しているし、
あらかじめ準備万端整っているはずなのに、
実際には動きがまだ始まっていない準備段階でも
緊張が過剰になってしまいます。


事前の段階で過剰に緊張して冷静さを失い、すっかりあがって、
本番になってもふだん通りの動作ができず、動きや緊張が意図から逸れて、
何をするつもりだったのか、どうすればいいのかわからなくなり、
することなすこと無我夢中、
自分ではしっかりしているつもりでもやっていることは支離滅裂、
せっかくの発言や競技も混乱のままという羽目に陥ることも少なくありません。

ある動作をするとき、その人が置かれた状況によって左右される緊張を
「場面緊張」と呼びます。
このような緊張は、その現れ方や生じる部位が人によって違っていて、
動作の仕方に及ぼす影響もそれぞれ特徴があります。

2012年5月22日火曜日

「恒常緊張」緊張状態を慢性化させてしまうと危険です!

習慣化、慢性化する「恒常緊張」

初めての動作や難しい作業、また自分のものになっていない課題などでは、
その動作のための緊張の程度がよくわからず、
力の調整がうまく今ない場合があります。

その動作になれ熟達するにつれて、だんだんと現実に馴染み、
適度なものとなります。
ところが、よほど慣れてきても、必要・十分な力だけを入れ、
それが済んだあと不要な力はしっかり抜ききる、
これらを確実にやり終えることはではありません。
そんなことまで意識してやっている人はほとんどなく、
いわば習慣ないし惰性でやっているのが普通だからです。


したがって、緊張もいくつか過不足のままかもしれないし、
力を抜くのも不十分になりがちです。
こうした不完全な緊張や残留する緊張は、
体のあちこちの部位や関節にだんだん蓄積され、
習慣化し、挙げ句の果てには慢性化して、目指す動きを妨げたり、
必要な緊張に干渉したりしかねません。
このように、体のある部位に盤踞して緊張や動きに
重要な影響を与える緊張を「恒常緊張」と呼びます。

ストレス

こころの問題と言えばすぐさまストレスという言葉が思い浮かぶほど、
ストレスは日常化しています。

そのストレスはあたかも私たちにまわりに
満ち溢れているかのように思われていますが、
そんなものが客観的に存在して、
私たちに外部から襲いかかってくるわけではありません。

ストレスというものは、自分自身が主観的にこしらえている幻影に過ぎないのです。


たかが幻影、されどストレス。
こしらえた本人がそれに悩まされ、脅かされて、
さまざまなこころの門譜代や困難を生み出しているのです。

ストレスに直面しそれに対して、克服しようとする本人自身の
努力で成り立っているのが私たちの日常生活です。
すなわち私たちは、こころの中で感じる「緊張の感じ」を
中心にしたさまざまなストレスをさまざまな仕方で体験し、
それに対応しながらこころの安定をはかっているのです。

普段の生活で私たちは、ストレスの種類や程度に応じて、
その都度体の緊張や構え、態度などを変化させながら、
それなりに対応・処理して、ストレスを変性・解消しています。

ところが、この処理は必ずしもうまくできるとは限りません。
ストレスを事故処理できるような適度な緊張の為の努力の仕方に馴染み、
体に過剰・不当な緊張が生じたら、それを自分で適切に弛めて
解消するような自己努力の仕方を身につけるほかありません。
それがリラクゼーションなのです。


リラクゼーションといえば、「筋肉がゆるむこと」と
思い込んでいる人が少なくありません。

按摩、鍼灸、マッサージ、振動などの物理刺激、
筋群や表皮への薬剤での刺激、筋弛緩剤のような生科学的な方法、
他人に動かしてもらう機械的な身体運動など一般に行われているのはそのためです。

もちろん、それらがそれなりの効果を持っていることは無視できませんが、
そのいずれかでも、そうした刺激の効果がなくなれば元の木阿弥になるのは必定です。

この厄介で不適切な緊張は、意識する・しないにかかわらず、
もともと自分が自分の体に働きかけて自らつくりだしたものですから、
その原因にさかのぼってそんな緊張をしなければいいのですが、
生きて生活している限り、人生はそれほど平坦無事ではありません。

平凡な普通の人間である私たちは、いつでも大なり小なりストレスを感じています。
それに伴ってさまざまに緊張するのは、当然のことなのです。
時にはそれがむしろ必要なこともあります。

このようなストレスの存在を前提として、それなりの緊張があった場合に、
それになるべく早く気付き、その緊張を弛め、
その緊張をしないですむような努力が出来るようになれば、
生活の仕方、人生の生き方までが大きく変化することになるでしょう。
巷間行われている筋の整理的な弛みを目的とするものではありません。

自分のからだの「緊張を自分で弛めた」という本人自身の心理的な
努力活動を目指しているのです。
本人がどうすればいいのか、それにはどういう難しさがあるのか、
その際にいかなる気持ち・体験の仕方をするのか、
どんな努力をする必要があるのかなどという、こころの内面的・主体的な活動を
指してリラクセーションと言っているのです。